はじめまして
はじめまして。京都府宇治市で社会保険労務士をしております宮 国男と申します。
このブログでは、世の中で起こっている様々なことについて、個人的な感想を、思いつくままに書いていきたいと思っております。
よろしくお願い申し上げます。
早速、第1回目ですが、キリスト教の聖書に出てくる「善悪を知る木」のりんごについて…。
人間には、他の人より勝りたいという欲求があるように思うのですが、善悪も、もともとは、人より勝りたいと思う誰かが、他の人と自分を差別化して優越感にひたるために始めたものではないかと思います。
善い行いをすることで、自分に対して自信を持つ。そんな人が増えてきたことにより、自然に、善悪の基準が出来てきたものと思います。
その一方で、人間には得をしたいという感情があり、知恵がつくたびに、損得の計算をするようになったものと思います。そんな人が増えたことにより、自然に、損得の基準も出来てきたものと思います。
善悪の基準と損得の基準。
これがあるからこそ、人間は人間らしい生活を維持できていると思います。
ところが、世の中には、他の人たちより偉くないと気がすまない人たちがいます。
この人たちは自己顕示欲が強く、自分と他人を差別化しようという気持ちが強いと思います。
で、他の人たちよりも、より強く、善悪と損得の基準に縛られる。で、他の人たちよりストレスがたまりやすい。
その一方で、周りが自分を軽視しているかのように感じると、威嚇したり、いじめたりといった行動に走る傾向にあるように思います。で、周りから煙たがられると余計にストレスがたまり、ダブル・ストレスで、余計にいじめに走る傾向があると思います。
だからといって、善悪、損得の基準を払ってしまうと、大人でも、中高生の不良グループのようになるので、基準を外すわけにはいきません。
具体的にどうするのがよいのかは心理学者の方にお任せするとして、ここでは、りんごを自己顕示欲、十字架を善悪と損得の基準に置き換えて、私自身の戒めとしたいと思います。
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投稿: 宮 国男 | 2007年3月13日 (火) 09時17分